奈良きたまち

〜歴史のモザイクのまち〜

きたまち早分かり

こんにちは、私は奈良街道まちづくり研究会事務局長の山口です。今回は、私たちが住んでいる近鉄奈良駅から北側のエリア、通称「きたまち」界隈をご案内します。

今立っているいる所は奈良女子大学正面玄関です。この場所は、江戸時代大和一円を統治した奈良奉行所がありました。当時の敷地は約8600坪もあり、江戸北町奉行所が約5000坪であったことから驚きです。

幕末の名奉行、川路かわじ聖莫としあきらは有名で、ここで大岡裁きみたいなことが行われていたと想像するだけでも興味深い所です。

現在の奈良女記念館は明治42年に建設され、国の重要文化財に指定されています。先ごろチェ・ジウ主演の韓国ドラマ「飛鳥の恋人」の撮影がされていました。館内を見たい時は守衛室に声をかけてくださいね。

さて出発しましょう。女子大を出て北へ進むと一条通りに出ます。左手には聖武天皇陵光明皇后陵があります。奈良時代の天皇陵がこんな町中にあるなんてすごい町ですね。

この一条通りの西は平城京まで続いていて、東は転害てがいもんにつき当たります。昔、荒木又衛門が法華寺あたりで宿敵を発見し、この一条通りを通り伊賀上野まで追いかけ、鍵屋の辻で仇討ちを成し遂げたそうです。歴史を感じますね。

転害門に向かって歩いていくと、ハタリ玄角堂があります。ここは鹿の角を加工して工芸品を作っているんです。また、萬林堂という饅頭屋さんがあり、今話題のマントくん饅頭を製作中だそうです。

転害門に着きました。ここは一条通りと旧24号線(京街道)がクロスしたところで、古くから奈良で一番の繁華街だったそうで、旅籠や商店が建ち並んでいました。ちなみに我が先祖は「山源」という鍛冶屋を営んでいたんです。

転害門は今から約1300年前に建設され、10年前に古都奈良の文化財として世界遺産登録されました。門の裏にある石段の雨だれの跡はその歴史を物語っています。町中に何気なく世界遺産があるなんてすごい。

さて転害門を北へ向かうと、向出醤油店があります。ここも「まちかど博物館」に指定されていて、明治12年創業の昔ながらの製法で醸造されており、工場内には大きな樽が所狭しと並んでいます。

もう少し北に歩くとがわにかかる橋があります。普通の橋に見えますが、実はこの橋を支えているのは今から360年程前に当時の奈良奉行所が架けた石橋なんです。少し横から見ると石橋部分が見えますよ。この街道は奈良と京都を結ぶ重要な道だったことから、市内で1番頑丈な石橋を造っています。

また、佐保川は、室町時代の1465年に将軍足利義政について春日もうでにきた禅僧真蘂しんずいが記録した公用日記「いんりょうけん日録にちろく」に南都八景が書かれてありますが、その1つに「佐保川の蛍」があります。きっとこの辺りから見た佐保川に飛び交う蛍がきれいだったのでしょうね。

坂を登って行くと明治41年に竣工したレンガ造りの少年刑務所があります。まるでおとぎの国のような建物です。ジャズピアニストの山下洋輔さんのおじいさんが設計に関わっておられたそうです。

街道筋にもどって北に進むとコスモスで有名な般若はんにゃがあり、その向いには現存する日本の牧場建物で一番古いと言われる明治17年創業の植村牧場があります。30数頭の乳牛がおり、ここで一息しておいしいソフトクリームをいただきましょう。

さて、いよいよ終点奈良なら神社じんじゃに到着です。能の源流となった国の無形民俗文化財の「おきなまい」は毎年10月8日に行われます。また、裏には樹齢1200年を超える大きなくすのきがあります。

こうしてきたまちを歩くと貴重な歴史財産が数多くあります。歴史のモザイクの町「きたまち」を是非皆さんで歩いて体験してみてくださいね。では、また。

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