奈良きたまち

〜歴史のモザイクのまち〜

奈良きたまち計画と「きたまち」という名称について

現在、ならまちとして一般的に知られているのは、元興寺や庚申堂の周辺ですが、近鉄奈良駅から北側の、我々の地域も、旧ならまちの一角にも含まれています。    

以前、奈良市が調査し、計画した「ならまち基本構想」においても、我々のエリアも計画に入っていました。ところが、現在のならまち周辺を都市計画道路「杉ケ町高畑線」の道路整備にあわせ、また商業施設が多いことから、先行して元興寺周辺のならまち整備が行われ、北側の我々の地域は、そのままの状態となりました。

そこで、我々の地域にも世界遺産登録された転害門や重要文化財に指定されている奈良女子大学校舎など、古くからの素晴らしい建物や歴史遺産があるので、是非、皆さんに知っていただき、またそこに住む住民が自らのまちづくりを共に考えるためのたたき台として「奈良きたまち計画」を作成し、その中身を今後住民の方々と作り上げていきたいと思っています。

そして、「奈良きたまち」という名称ですが、我々のエリアはならまちの一角でもありますが、私達は、住んで楽しい町、住むことに誇りを持てる町として再建するため、「喜び多い町」、「何か懐かしい来たことがある町」、「再び来たい町」をチャッチフレーズとして、「喜び」、「来たい」という言葉をつかって「きたまち」と呼んでいます。

この名称には、これまでの「ならまち」にこだわるのではなく、これから未来に向け、新たな文化をこの町から発信しようという思いもこめられています。まだまだ知られていませんが、これから様々なイベントを通じ、覚えていただきたいと思っています。